独身貴族のFunky World

funkyworld.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:まーけてぃんぐこみにけーしょん( 6 )


2006年 03月 31日

ワンセグ開始

明日、4月1日からいよいよワンセグが始まる。

ワンセグとは、いわゆる携帯端末向け地上波デジタル放送のこと。もう既に試験放送は始まっているが、明日から正式に携帯電話等で放送を受信することができるようになる。

いわゆるアナログ放送とは違い、画像が鮮明なのが特徴。先日もWBCの韓国戦を渋谷駅ホームで観ていたのだが、小さなボールの行方まで問題なく見ることができた。ただし、ホームで一人携帯電話の小さな画面に見入っては、「いいぞ!イチロー!!!」などと叫んでいる姿は危なかったと思う、、、(笑)。

しばらくは現在ある地上波チャンネルで放送されている番組がそのままサイマル放送されるとのことだが、将来的にはワンセグ向けのドラマなどオリジナル番組の放送も考えられているという。

さて、ワンセグで私たちの生活はどのように変わっていくのだろう?

まず考えられるのはテレビの果たす役割が相対的に必要なくなっていくということである。これまでは家にあるテレビと呼ばれる四角くて巨大な受信機が必要だったが、ワンセグの導入に伴い、その受信機がポケットサイズになった。つまり、テレビメディアのメッセージを受けるのに場所に縛られなくなったということで、テレビがよりラジオに近づいたイメージだろうか。ラジオ特有といわれていた「ながら視聴」が可能となった。

次に、デジタル放送による双方向性の活躍である。これまでのテレビでは放送局から一方的に情報が送られてきて、それを受動的に受け取るしかなかった。しかし、双方向になることにより、クイズ番組への参加や関連情報の検索などが可能となる。そういった意味ではテレビがよりインターネットに近づいたイメージだろうか。

最後に、より文字と映像と音声の融合が加速されることになる。文字は新聞・雑誌、映像はテレビ、音声はラジオと上手く住み分けていたマスメディアが、インターネットの登場を経てより融合への道を歩む。故に、究極的には「情報」の定義が変わる。情報とは、受動的に受け取るものから、能動的に獲得しにいくものに変わっていく。

個人的にはワンセグの登場は非常に嬉しい。これまで映像を持ち歩く際は、パソコンでファイルを保存し、それを外部メモリに移し、最終的にPDAに落として観ていた。もしくは、PDAの無線LANで直接ダウンロードしたりしていたのだが、やはり時間もかかるし使いづらい。

一日も早くワンセグが普及して、面白いコンテンツが多数提供されれば嬉しい。

そういえば、第2東京タワーの建設地が墨田区に決定したとか。決まったのであれば早く作ってしまって、すぐにでもデジタル放送を推進して欲しいものだ。

e0054938_13341686.jpg
[PR]

by masakatsuyamamoto | 2006-03-31 13:31 | まーけてぃんぐこみにけーしょん
2006年 01月 17日

Porsche

PorscheのSenior Directorに会ってきた。プランニングサイドの出身者であるが、マーケティングに関しても軽く言及してくれた。

とにかくニッチ中のニッチ!GMやトヨタを含めたインディペンデント系ではあるが、圧倒的にその生産規模は小さい。というか、比べものにならない。それでも経営の危機に立たされたこともあるポルシェを際立たせているのはその利益率の高さだろう。

ポルシェの戦略は他の自動車会社とは異なる。つまり、セールス(生産シェア)よりも利益率を優先し、利益率よりもCSを優先する。当たり前のように聞こえるが、これをきちんと実践し、しかも成長している企業は意外と少ないであろう。

ニッチャーらしく小さなセグメントを決め細やかに拾い上げ、1つ1つに対して気の利いたサービスを提供する。日本のマーケットは欧米のマーケットに比べて客が納車まで待てないらしいが、それでも職人の手作り自動車を提供し続ける。その気になれば数千台余分に売れると言っていたが、利益率を損なうようなことは一切しないという。

BMWと違い、特段これといったコミュニケーション戦術はなく、むしろ面白みに欠けるとすら思えるのだが、プロダクトが洗練されており、かつ、ユニークで、しかも社会的に受け入れられているというのは他の高級車とは一線を画している。

団塊の世代がリタイアするこれからは、この手の自動車はより売れるようになるであろう。今からポルシェを運転する夢を見ながら、定年を楽しみにしている人々も多いはずである。果たしてこの間を埋めるようなビジネスはないだろうか?世間では団塊の世代の定年後のマーケットばかりが叫ばれているが、団塊の世代がリタイアするまでのタイムリミットをマーケットとして捉えることもできるであろう。

例えば、リタイア後の様々な楽しみ方を今からコンサルテーションするリタイアメントライフアドバイザーとか。もしくは、老後の世界一周旅行をより楽しめるように今から教育をする世界各都市の見所通信教育とか。または、会社を放り出されて居場所がなくなるであろうオジサンたちを今のうちにネットワーク化して、老後に居場所や仲間がいないという寂しさを防ぐビジネスとか。

考えれば考えるほどアイデアは出てそうだ。定年後のマーケットがそれほど魅力的なのなら、今からツバをつけておいた方が良いに決まっている。

e0054938_22242370.jpg
[PR]

by masakatsuyamamoto | 2006-01-17 22:39 | まーけてぃんぐこみにけーしょん
2005年 11月 20日

世界のCMフェスティバル2005 in Tokyo

世界のCMフェスティバルに行ってきた。

簡単に言えば、カンヌを始め最新の広告祭の受賞作品から普段めったにお目にかかれないような国々のCMを集め、理屈抜きで堪能するというもの。しかも、オールナイトで!22:30の開場から5:50の終映まで笑いあり、涙あり、風刺あり、学びありと、世界中の文化とクリエイティビティを満喫した。

素晴らしいところは、単に映画館でCMを上映するだけではなく、観客参加型のイベント構成であること。バンドあり、パフォーマンスあり、ラッフルありとこちらも十分楽しめる。なんとオープニングではドレスアップしたオペラ歌手がマダムバタフライを熱唱した。

このイベントは北海道から沖縄まで日本全国で開催される。世界各国の生の生活に触れるという意味ではCMは非常に有効な異文化教育ツールであり、特に島国日本人にとっては大きな意味を持っているように思う。

このような動きを失速させず、むしろもっと多くの人々の目に触れるようになれば日本人が海外の国々に対して持つステレオタイプも良い意味で変わってくるのではないだろうか。しかも、古い文献を読んだりするのではなく、時流に沿った形で、時にはユーモアをもって。

非常に有意義なイベントだった。

e0054938_1131287.jpg
[PR]

by masakatsuyamamoto | 2005-11-20 21:29 | まーけてぃんぐこみにけーしょん
2005年 09月 21日

LEXUSのマーケティング

書籍「レクサスが一番になった理由」の著者Bob Sliwa氏の食事会に出てきた。

彼のプレゼン付きだったのだが、トヨタが如何にして北米市場で勝利を収めたかをマーケティングの視点から検証していた。

レクサスの強さの要因はいくつかあるのだろうが、やはり「商品のクオリティ」と「サービス」が真っ先に挙げられるだろう。競合はメルセデスでありBMWであるのだが、欧州で確立されたブランドと真っ向から戦いを挑んだのだから大したものだ。ちなみに、欧州でブランドを確立するのには50年かかると言われるが、アメリカで確立するのには数年で十分なのかも知れない。

商品としてのレクサスはとにかく「静か」!恐らく北米で「静かさ」を売りにした車はかつてなかっただろう。かっこいい車やキラキラした車を欲しがる客はたくさんいたのだろうが、果たして「静かな車」を求める客はいたであろうか?そう考えるとすごいイノベーションである。

また、売り方としてはアメリカ人の持つ日本人観を上手く利用している。

1つめはSONYのウォークマンに代表される「革新性」と「ものづくり精神」。完璧なラグジュアリーカーを目指すレクサスはまさに職人芸の賜物である。

そして2つめは「礼儀正しさ」。レクサス発売後、約8000台のリコールが生じた。トヨタはこれを素早く回収し、8000名のオーナー1人1人にお詫びの手紙を送付した。この手紙を受け取ったオーナーはレクサス嫌いになるどころか、より一層のファンになったであろう。名著「Tipping Point」によるところのMavenである。また、トレードプロモーションの一環であるが、ディーラーのショールームの掃除のおじさんも売り上げの1%を受け取れるようになっていた。つまり、セールスに対してステークが生まれる状態。結果、セールスマンのいない真夜中に不具合の生じたレクサスを持ち込んだオーナーに対し、知らん顔するどころか必死にセールスマンに連絡を取り、問題を解決した。日本では当たり前かもしれないが、アメリカでは考えられない驚異的なロイヤリティの高さである。

主に上記2つの理由によって、レクサスは数多くの伝説を生み出し、歴史的なセールスの記録を達成したのである。

もちろん、マーケット側のシフトも要因として挙げられる。顧客の価値観が「所有」から「経験」に変化した。もしくは、購買対象が「モノ」から「システム」に移った。これは日本でも起きていることである。成熟したマーケットにおける複雑な競争には必ず見られる傾向である。

さて、この伝説的な車が日本で成功するか否か。日本における懸念要因はディーラーである。

地場産業に近いトヨタのディーラーが、レクサス、つまり、その「システム」を売ることができるだろうか。「モノ」としてのレクサスではなく、「経験」としてのレクサスを売れるだろうか。中小企業のオーナーを相手にしていたセールスマンが、富裕層を相手にできるだろうか。これまで自由裁量でやってきたディーラーが、トヨタの中央管理の下に展開されるブランドマネージメントについてこれるか。ディーラーに関するものだけでも様々な懸念要因が挙げられる。

1つ確実に言えるのは、日本のマーケットにも富裕層向け商品が出てきたということ。一昔前のお金持ちとは違い、全てにお金をかけるようなことはしない。なんでもかんでもキンキラキンはもう格好良くないのだ。ラグジュアリー商品はラグジュアリーであるからこそ売れる。が、誰にとってのラグジュアリーか、また、何をもってラグジュアリーとするかは消費者セグメント、ひいては各個人レベルでも大きく違いを見せ始めている。

e0054938_16231044.jpge0054938_162259100.jpg
[PR]

by masakatsuyamamoto | 2005-09-21 16:58 | まーけてぃんぐこみにけーしょん
2005年 09月 19日

総選挙とPR戦略

久々にマーコムの記事を書いてみる。

ご存知の通り、衆議院選挙は自民党の歴史的圧勝。勝ちすぎと言っても過言ではないくらい勝ってしまった。今回の選挙は今までになくPR色が強く、日本的選挙活動に本格的にコミュニケーション戦略という概念が持ち込まれた。

PR戦略で一歩先んじていたのは民主党。一昨年の総選挙と昨年の参議院選挙で共にフライシュマンヒラードを使った。お陰で両選挙において民主党は大躍進を遂げた。

一方の自民党は今回の総選挙でプラップジャパンを使い、大勝利。フライシュマンは今回の選挙で評判を落とすことになった。

そもそも、自民党の政策と民主党の政策に大きな違いは無い。よって、プロダクトの力にそれほど違いはないだろう。ただし、明らかに自民党が有していた強みはトップブランドとしてのマーケットポジションとプリエンプティブムーブ(先制攻撃)。また、郵政民営化問題にフォーカスすることで自分達に有利な戦いの土俵を作り上げてしまった。

ブランディングの権威、David Aakerによるマーケティング戦略の5つのキーは「Low Cost」「Differentiation」「Focus」「Preemptive Move」そして「Synegy」。

今回の自民党のコミュニケーション戦略においては①世論も自民も民主も改革を望んでいる。よって、民主に明確な差別化戦略を取らせなかった。②小泉首相をヘッドに改革色を強力に打ち出し、先制攻撃による有利なポジションを確立した。③郵政民営化問題にフォーカスすることにより、自分にとって最も戦いやすい舞台を作り上げた、というのが大きかったように思う。そこに、④ホリエモンなどの改革派リーダーが出現し、シナジー効果によるより一層の改革イメージを強化した。

ちなみに、フライシュマンを使った民主党のコピーは「日本を、あきらめない」という今ひとつよくわからないもの。一方、プラップを使った自民党の担当者は元NTTの広報。要するに、使う側の人材にも差があったということだ。

念のために言っておくが、フライシュマンは決して悪いPR代理店ではない。日産をクライアントとしているが、コンスタントによいパフォーマンスを見せている。

クライアントとエージェンシーの力の総力がPR活動を前に進める。今回の総選挙ではそれが余りにも明確になり過ぎた。
[PR]

by masakatsuyamamoto | 2005-09-19 16:17 | まーけてぃんぐこみにけーしょん
2005年 07月 10日

スゴ録が変えるTVの媒体価値

HDDレコーダー「スゴ録」がダブルチューナーになって発売された。早速購入し、使ってみたがこれが楽しいこと楽しいこと。キーワードさえ入れておけば勝手に録画しまくり。確かにいらない番組まで録ってしまうのは否めないが、それにしても便利である。完全に引きこもり状態になってしまった。

これまでテレビからのメッセージは受け手が受動的であり、言わば垂れ流し状態だった。だから掃除中とか食事中につけっ放しの「ながら利用」も多く、CMを流す企業にとってもラジオと同様の価値を見出していた。流しそうめんの下流で、流れてくるもの全てに箸を伸ばすようなものである。

ところが、このHDレコーダー君がスグレモノで、一気にテレビ媒体の特性を変えてしまった。まず、視聴者が情報端末としてのテレビを能動的に活用できるようになったのだ。自分で番組を選び、その番組内の必要な部分だけど視聴し、データとして保存するか即時に消去するかを決める。視聴する時間はその人しだい。つまり、よりウェブに近い性質を持つようになった。

次に、CMを完全にスキップできる。いわゆるザッピングである。むしろCMだけでなく番組内でも必要な部分だけ見てそれ以外は早送りしてしまうのだ。これは番組の制作側にとっても厳しい。情報番組などでは人気コーナーが視聴率を集め、それ以外は早送りという現象も現れる。よって、スポンサー企業との馴れ合いで惰性で進んでいた番組は企画をきちんと練り直す必要が出てくる。視聴率というモノサシも信用できない。

そして、これらがいずれ地上波デジタル放送の開始によって双方向になる。こうなればもはやテレビとウェブの境界は怪しいものだ。デジタル家電が現実のものとなる。インターネット感覚で番組を視聴し、その傍らでメールを出して、ショッピングをする。文字情報や映像情報、音声情報に加え、味や匂いも出せるようになるかもしれない。子供の頃に憧れていたテレパシーでのコミュニケーションを髣髴とさせる。つまり、瞬時にしてあらゆる情報を取り寄せることができるのである。

こうやって見ると社会はどんどん便利になっていくように見える。が、その反面、こどもによる犯罪や自殺が急増しているのも事実。社会が便利になったから犯罪が増えたとはもちろん言えないが、確かなのは家族や友人との繋がりが希薄になり、フェーストゥフェースにコミュニケーションが減ったこと。友人とチャット上で罵倒し合うのと、実際に殴りあったのでは物理的に感じる痛みが違う。好きな人に告白してふられるのと、メールでノーと言われるのでは感じるせつなさが違う。他人の痛みがわからない大人が、また他人の痛みのわからないこどもを育てる。

情報が氾濫すればするほど、その情報のクレディビリティが求められる。出会い系サイトに登録して腐るほどの出会いがあってもなかなか幸せな恋愛につながらないのと同じ。

そう考えると社会がデジタル化し、どんどん便利になればなるほど人々のつながりや集積の相対的価値が上昇し、口コミマーケティングなどがもてはやされるのかもしれない。地球上では大きく振れた振り子は反対側にも同じだけ振れるのである。田舎に根付いていた「信用」に基づく人間関係から、「マス」に移行したトレンドは、再度「クレディビリティ」の重要性に気付き始めている。

e0054938_2524516.jpg
ソニーのHD
[PR]

by masakatsuyamamoto | 2005-07-10 02:50 | まーけてぃんぐこみにけーしょん